神道大教の由緒とご祭神について

純粋神道を継承

本教は神道事務局の系譜を引継ぎ、畏くも有栖川宮幟仁親王殿下を初代総裁に推戴致し、子爵・稲葉正邦卿(旧山城國淀城主)が初代管長に就任されるに及んで、単に「神道」と称し、傘下教会・神社は総て名称に神道を冠しました。宗教概念上の神道と区別する為、特に「神道本局」と称され、昭和15年の宗教団体法施行に伴い現在の「神道大教」と改称し現在に至って居ります。
神道事務局内の神霊を祀る神殿を「大教院」と称し、これは明治初期発足当時の神仏合同布教の名残でもあり、神道各派独立後もその直轄の道統を受継ぎ、麻布の閑静なる丘に鎮座いたしております。
 

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宮中三殿の神霊を祭祀

神道大教院では、天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神を奉斎主神としています。所謂造化の三神と申され、一般的に周知されているとは云い難いかもしれませんが、「古事記」冒頭に顕現遊ばされる宇宙世界、大自然の形成、摂理、天地間の万物を生成し給う、最も尊い中心となる神です。そして産霊二神の霊徳により、八百萬神がお生まれになり、一切の自然現象を生じしめているのであります。
また、伊邪那岐神、伊邪那美神、二神陰陽の働きを以って國生みがなされ、国土形成と諸神が現出されたのであります。
天照大御神は、伊邪那岐神の禊の神行によってお生まれになり、太陽そのものとして最も崇敬されております。今日、皇太神宮に鎮座遊ばされ御皇室の祖先として、古代の儀式そのままに祭祀が行なわれて来ております。「天の岩戸」の神話は余りに有名ですが、高天原での衣・食・住、すなわち五穀を播き育て、機織りにより衣服を調えることなど、現代でも生活の基本となることを、既に営んでおられた神でもあります。
そのほか自然現象を掌る大勢の神々を天神八百萬神・地祇八百萬神として奉斎いたしておりますが、総て万物には神霊が宿り、そのお働きに因って生命が生かされているという信仰、つまり「惟神の道」は我々大和民族の集約された中心観念であり、日常の安寧を祈り感謝の誠を捧げて代々祭祀を継承して行くことこそ子孫繁栄、延いては世界平和の礎となると言えましょう。

有栖川宮幟仁親王

有栖川宮家第八代に当たられる幟仁親王は文化9年正月、七代・韶仁親王の第一王子として京都にお生まれになられた。文政6年には親王を宣下され上総太守、元治元年には国事御用掛となられ、慶応3年に親王の位階第一位の一品を授けられ、明治新政府の議定・初代神祇事務総督・神祇事務局督に就任された。明治14年、数多の神道家の請願により神道教導職総裁に就任、時の祭神論争の沈静化につくされ、翌年には皇典講究所総裁として皇学の隆盛に尽力された。
有栖川宮家は歌道・書道が家学で、五代・職仁親王の代に書道有栖川御流の基礎を固め、幟仁親王により大成し確立した。現大教院御額も親王揮毫のものである。

有栖川宮幟仁親王

三條の教憲

明治3年の大教宣布ノ詔で宣教使が任命され、教部省は教化に当る教導職を十四階級に分け任に当らせたが、その取締りの為に東西両部に管長を置き、同5年3月教導上の教憲として三ヶ條が大教正(一級)に授けられた。三條教則または教則三條ともいう。