前の地恩の項でのべましたように、地上の現象はことごとく陰陽あり、なにごとも限りあり、差別があります。人間の生命にしても、貧富の差にしても必ずなるべき原因があります。それは、人間の配慮によってなるものと、神(自然の法則)の手によるものと分けることができます。人間は自己の生命と生活を守るために利己的になったり自己本位になって慾深い行為や人を欺いたり、無益な争いを起したりする。国家と国家の間もまた同じであります。
人間がそうした面だけを出して生活しますと、個人的には一時は栄えるかも知れませんが、神の目から見たならばそれは調和を欠き法則(神)を無視した行為であるから最終的には滅びていかなければなりません。
そういうことを、吾々の祖先(神)が身をもっておしえのこして行ってくれました。吾々はそうした祖先の遺訓を鑑として貪慾、欺瞞、闘争、殺りくなどの罪悪の発生を防いで、真善美を求め、清浄なものに心を当てて行かないと、真の理想的な人間社会をつくることはできないでありましょう。 
神道大教の教理では、人はすべてがこの清浄観をもって罪悪を拭い去り、天之御中主神の神意(法則)によって生れて来た自己を如何なる人為的な悪い条件で生活しなければならない時でも汚してはならないと説き、更にまた心ならずも罪悪を犯した者は、古儀にならって潔祓・鎮魂などの修行をして目の曇り心の曇りを取り清浄心を呼び返して生活せよと、教えております。