神道大教を興隆させた人々

第1代管長
稲葉正邦卿

初代管長稲葉正邦卿は、旧淀藩主で、徳川幕府にあって、京都所司代、老中職、国内事務総長などを兼ねられ、家茂将軍の下で長洲征伐に従われたが、長洲軍の真意を知って幕府と長洲の間に立って非常に苦慮されたこともあり、またこれが原因となって維新後、時の政府が卿の真意を解せざると知るや、断然仕途を断ち、神道界に入り、斉民教化の道に立たれた。卿の敬神尊皇の至誠は実に偉大なもので、明治の神道史にその業蹟は光彩陸離たるものがあり、特に神道扶殖のため七千坪余の自分の土地を投入するなど常人の追随を許さなかったという。
神道本局のことを世間では稲葉神道ともいったと伝えられているが、それは卿の功績の偉大さを物語る証左でもあろう。

第2代管長
稲葉正善卿

第2代管長の稲葉正善卿は、旧館山の藩主で、初代管長の御親戚に当り、また第三代管長本多康穣卿も初代管長の御姻戚にあった。
本多卿は、旧膳所の藩主で、勤王の精神厚く、藩籍奉還のときも各藩中第一位で、皇国の真の存在には、神道を第一に立てるべきだとお考えになっていた。本局の教務、祭典などには実に精勤であられたという。



第3代管長
本多康穣卿

第3代管長は初代館長の御姻戚に当たる旧膳所の藩主従二位子爵本田康穣興が就任。時あたかも日露戦争に突入。本局ではこの未曽有の国難に際して全面的な奉仕が行われた。名刺42年本局の国家奉仕の功績が天皇の嘉みせらるる処となって、三組金杯が下賜された。
明治45年2月18日管長本田康穣卿は78歳で逝去。



第4代管長
長谷信成卿

第4代管長に顧問であった従2位子爵長谷信成卿が就任。翌大正4年に大正天皇御即位の大典が行われるに当り、京都紫宸殿の式典に参列された。本局はこの大典を記念するために「明道団」なる団体を作り、神道教師をして国家社会に尽くせしむる基本綱領を示した。
大正10年11月26日長谷信成官長は逝去。



第5代管長
神崎一作大人

第5代第五代管長神崎一作大人は、神奈川県大山、阿夫利神社の祠職家に生れ、大山分局生徒寮に入り、権田直助翁に師事し、後哲学館、東洋大学及び國學院大學に学び明治29年神道本局に勤務、2代、3代、4代と3代の管長に仕へ、信仰、教学、教務ともに深い造詣者であった。
政府機関の宗教制度調査委員、神社制度調査委員なども歴任され、またその著述も多く「大祓新釈」をはじめ22部の著書を公けにされ、その業績は、神道大教のみならず、広く宗教界に不滅のものがあるといわれる。


第6代管長
林 五助大人

第6代管長の林五助大人は、東京都葛西の西野家に生れ、幼時より深川天祖神社の社司林精一氏の養嗣子となられ、國學院大學を経て神道本局に入った。資性温厚、包擁力に富まれ、よく部下の面倒をみられた。日華事変が長期戦の様相を呈し、民心不安定な時代にあったが、英明な林管長は、本教百年の基礎をつくるため勇断をもって教名を「神道大教」とかえられ、神道大教の威俘を高めるためにつくされたという。



第7代管長
森田作次大人

第7代管長の森田作次大人は、大山阿夫利神社社掌、増田耕三氏の二男として生れ、東京郁文中学、國學院大學を経て、森田家に入婿、大正13年神道本局に勤む、歴代管長を補佐して 終始一貫、その興隆に尽力された。
森田管長の就任は、終戦直後の20年10月で、この新管長の門出を祝うものは晴朗なる海路でなかった。しかし管長は、焼野原の本局境内の中から現在の神道大教を見事に復活されたわけで、その功績は筆絶につくせぬものがあるといえよう。


第8代管長
品田聖平大人

昭和39年9月品田聖平氏が第8代管長に就任。品田管長は永らく國學院大學に奉職された方で明治の神道家、父俊平氏の心教大教会を継いだ。柔道家、歌人としても一家をなし神道実践家としては豊富な経験を持っていた。昭和49年宣教殿火災に遭い書類を焼失。昭和53年10月21日弥栄殿造営、神道大教創立百年祭執行。昭和56年3月大教院霊殿造営竣工。昭和60年神道大教創立110年記念研修会造営、大教の現代的な発展を企画し、神道をもって日本人の心の灯とするために教学を拡め、諸施設を拡充して神道理想郷を作った。
平成4年10月12日品田聖平管長は数々の造営を手掛け93歳で逝去。

第9代管長
大森徳春大人

平成5年3月5日大森徳春氏が第9代管長に就任。大森管長は永年神道大教宣教部長を務め「神道の友」に教学の原稿を掲載し、神道布教に力をそそいだ。父徳馬氏の意志を継ぎ、あかつき大教会を後継し、教会長として多くの信者の救済と所属教師の育成に努めた。管長就任後は、本教発展に尽くし、120年祭を盛大に斎行した。平成10年8月27日大森徳春管長は79歳の生涯を閉じた。



第10第管長
板倉信之助大人

平成11年3月15日板倉信之助氏が第10代管長に就任。板倉管長は易経に造詣が深く、大勢の弟子の教導に努めた。管長就任後は管長任期の制定によって教則変更と神道大教創立130年記念事業として、本部境内の第1・第2鳥居建替えを完工し、神道大教「要論」を復刻した。平成16年4月任期満了にて管長職を退任。平成16年7月14日板倉信之助管長は90歳にて逝去。




第11代管長
尾立聖兆

平成16年5月1日尾立聖兆氏が第11代管長に就任。尾立管長は神道大教石切神宣大教会会長として多くの信者の道しるべとして宣教に努めた。管長就任後は神道大教の将来を担う若手教師の育成に努めた。
平成21年4月任期満了にて管長職を退任。平成29年8月13日尾立聖兆管長は93歳にて逝去。




第12代管長
木村剛正

平成21年5月1日木村剛正氏が第12代管長に就任。木村管長の母君、木村輝氏は海軍大将の後に2度首相を務められた山本権平衛伯爵の孫にあたり、神道大教うづめ大教会を創建された。失明するという災禍に見舞われたが神宣を受け大勢の迷える人々を救い、更には浮浪者の厚生、不良少年の矯正事業、刑務所の慰問等社会的にも大変貢献された方で、その教導一筋のうづめ大教会を木村剛正氏は後継され、ご夫人は木村輝氏の意思を継いで教誨師を務められている。木村剛正氏は管長就任後神道大教の内部改革に力をそそぎ、減少する教師の発掘等、教勢の盛り返しに努め、神道大教発展のため、教義宣揚に尽力した。神道大教創立140年記念事業では、御本殿・御霊殿の空調設備等を完工させ、記念大祭及び祝賀会を盛大に斎行した。また各宗教組織間でも理事長、理事として全幅の信頼を寄せられ、本教の道統を広く内外に知らしめ、威信を高めた。神道事務局直轄の系譜として神道本局時代、また現神道大教としての存立の立場を各宗派が再認頂いたことでは、洵に大なるご功績を残した。
平成29年4月任期満了にて2期8年間管長職を務め退任。

(東京ライフ社刊 東京ライフ「明治百年と神道大教」より転載)